2021-05-26 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第19号
次に、百年置きに首都直下型地震は起きている、それを一番最初に言ったのが、大正年間の今村明恒という、永遠の助教授と言われた、教授としょっちゅうけんかしていた人ですね。その人が、首都直下型地震は百年ごとに起きるという論文を発表し、それが世の中を騒がせたということで今村明恒は非難を受けるわけですけれども、しかし、実際に関東大震災が起きるわけです。
次に、百年置きに首都直下型地震は起きている、それを一番最初に言ったのが、大正年間の今村明恒という、永遠の助教授と言われた、教授としょっちゅうけんかしていた人ですね。その人が、首都直下型地震は百年ごとに起きるという論文を発表し、それが世の中を騒がせたということで今村明恒は非難を受けるわけですけれども、しかし、実際に関東大震災が起きるわけです。
助教授の今村明恒さんという方が、過去の例をずっと調査していくと、江戸、東京は百年から百五十年に一回地震が起きているということを明らかにするわけです。もしも今の状態で地震が起きれば東京は大火に見舞われるだろうということを見抜いて、それを論文に書くんですね。そうしましたら、その論文が新聞に取り上げられて、東京じゅうがパニックになっちゃうんです。
このことは、どうやら昔の地震学者の今村明恒博士も御存じであったようであります。 要するに、今村博士が調べられたことによりますと、歴史上起こってまた起こったところは六つしかない。でありますから、論理を逆転いたしますと、一遍も歴史上起こってないところが危ないのであります。
それからもう一つ、非常に重大なことは、南海地震のときに、今村明恒先生という方が、当時の陸地測量部に頼んで測量をしておったのでございます。これはもちろん今村先生は東海地震がそろそろ起こるのではないかと思ったから、そういうふうに陸地測量部に御依頼になったのでありますが、それがまさに東海地震の一日前でございまして、そのために水準測量の結果に理解しがたいことがあらわれたのです。
既にもう今を去る数十年昔、東大の今村明恒という地震学者が、関東大地震、南海地震、東南海地震がいずれ起こるということを予想しておりまして、それはいずれも今村博士の存命中に起こったのでございます。今日はもちろんそのときより非常に知識が進みましたので、もう少し正確といいますか、もうちょっと細かなことまで考えてそういう予測をするようになっております。
これはいまから七十年前に、今村明恒先生が書きました「地震学」という本がありまして、それにちゃんと書いてある。それからあと松沢先生の書いた本、和達先生の書いた本、すべて地震の教科書には、あまり長くはありませんけれども、そういう事実があるということはもうすでに気づかれておりまして、別に発見でも何でもないわけであります。
その説を出しましたのは今村明恒先生でございますが、いまのところそれをくつがえすような事実はまだわかっておりませんので、一応それに従っていくよりほかには道はないと私どもも考えておるわけであります。
これはいろいろの分布状況から、大正十二年の地震と同じところに同じ程度の大きさで起こったのだろうということを私の恩師の今村明恒先生がおっしゃっておりますが、まず間違いないと思います。その八一八年から六十九年で区切ってみますと、現在までに十七回そういう地震の起こって当然と期待される年があったわけでございます。
それは明治三十九年に大地震説ということで、私の先生の今村明恒先生から、地震の対策をやれという意味の警告として発表されたのですが、大正四年に、東京地域に非常に地震が頻発した。それが大地震になるのではないか、その前兆ではないかというので、株式相場の下落まで起こったという大事件が起こりました。
○萩原参考人 震災予防調査会は特別ないわゆる委員制度でございまして、最初は非常にたくさんの委員が熱心に研究を続けたのでありますが、長い間たちます上に、だんだんある部門におきましては熱が失われてまいりまして、最後におきましては、大森房吉博士、それから今村明恒博士のような地震学者だけが残って、総合的な研究からは遠のいた状態になりました。
故人の今村明恒東大教授が昭和三年十月二十七日長岡市に近い関原で起こった強震のさいたまたま観測したデータでも同様の現象がみられる。こんどの場合同様な前兆が現地の気象台や大学で観測されなかったのだろうか。また新潟港にあると思われる検潮儀にも地震の前後になんらかの変化があったと思われる。